企画展・特別展

企画展「長濱八幡宮の歴史と文化」

長浜曳山文化協会(長浜市曳山博物館)では、標記の企画展を開催します。

長濱八幡宮は、延久元年(1069)に源義家により石清水八幡宮を分祀勧請されたとされます。その後八幡荘を主要な所領として、室町時代には勧進猿楽が行われ堂塔の整備が進められました。一方で戦国時代には織田信長と浅井氏との抗争により社殿は焼失、秀吉の時代に復興され、さらに曳山祭はこの秀吉の時代に始まるとされています。

長濱八幡宮は、その長い歴史の中で独自の宗教文化を開花させ、時には衰亡の局面に瀕しつつも、そこから復興再生され現在につながってきました。こうした歴史的背景は今も長浜の町の風土として、その精神が受け継がれています。

本展は、長濱八幡宮に伝わる多様な文化財から同宮の歴史をひも解き、長浜の風土に多大な影響を与えたと思われる宗教文化の隆盛を見ていこうとするものです。

企画展情報

開催期間:
令和4年1月29日(土)~3月6日(日)
会場:
長浜市曳山博物館 1階・2階展示室
開館時間:
9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:
会期中無休
入場料:
一般600円/小中学生300円
※20名以上の団体は2割引、長浜市・米原市の小・中学生は無料。
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳等をお持ちの方及びその付添いの方1名は無料。(ただし、証明となる手帳等の提示が必要)

①歴史トーク
日 時:令和4年2月5日(土) 13時30分~
場 所:長浜市曳山博物館内伝承スタジオ
講演者:長浜市 市民協働部 学芸専門監 太田浩司氏
長浜城歴史博物館 学芸員 坂口泰章氏
定 員:30名
申 込:1月16日(日)より申込受付開始
電話:0749-65-3300(曳山博物館/9時~17時受付)

 

②展示説明会
日 時:令和4年1月30日(日) 13時30分~
2月11日(金・祝) 13時30分~
会 場:曳山博物館 展示室
参加費:入館料(大人600円)
解 説:曳山博物館 学芸員 山本 順也
申 込:不要

パンフレットダウンロード

ファイル種類:PDF  サイズ:800KB

主な展示資料

源 義家像

 

1幅 絹本著色 円山応震作 江戸後期
長浜城歴史博物館蔵

 

 源義家は、平安時代後期の武将。7歳の時に京都石清水八幡宮にて元服したことから「八幡太郎」と呼ばれる。
武勇の伝承も多く、また鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖先にあたることから、以後武士の間で武神として信仰を集め、各地の八幡宮の中には、義家を祭神として祀るところも多い。
長濱八幡宮は、この義家が延久元年(1069)に石清水八幡宮を分祀勧請して創建されたと伝えられ、この地域における宗教文化発展の基礎を築いた人物と言えるであろう。

 

 

 

八幡愚童記 乙種 上下

 

2冊
永正7年(1510)
長濱八幡宮蔵

 

(写真は「八幡愚童記 乙種 下」の一部)

 

八幡愚童記は鎌倉時代後期に成立した、八幡神の霊験や神徳を記述した書物で、八幡愚童訓とも呼ばれる。甲・乙の二種類があり、前者では蒙古襲来での戦闘状況や蒙古軍退却の奇瑞などが、八幡神の神徳としてしるされ、後者は阿弥陀信仰と習合する形をとってその神徳や霊験が語られている。

 

 長濱八幡宮に伝来する甲・乙両書は、永正7年(1510)に書写されたものである。この時期に八幡神の霊験・神徳があらためて再認識されたものと評価されよう。

 

 

 

長濱八幡宮往古図

 

1幅 絹本著色 江戸時代 長濱八幡宮蔵

 

 本図を見ると、かつての長濱八幡宮は、境内に多くの坊舎を抱え込んでいたようで、現在とはかなり様相を異にする。

 

 本来長濱八幡宮は、現在の八幡町あたりに所在したとされる。これは織田信長と浅井氏との兵火により罹災し、その後秀吉の長浜城築城の際に現在地に再興されたと考えられている。

 

 本図は秀吉時代以前の長濱八幡宮の様相を描いたものと思われるが、この図のもとになったものが不詳のため、検討を要するであろう。

 

 

 

釣燈籠

 

1基 天正9年(1581) 長濱八幡宮蔵

 

 秀吉による長濱八幡宮の再興事業は、天正2年(1574)9月に始まるが、本釣燈籠には秀吉が天正9年(1581)8月3日に奉納したとする銘文が刻まれる。この日付けは社殿の再興が成って遷宮式が行われた日で、これに合わせて秀吉が釣燈籠を奉納したことがわかる。

 

 

 

八幡宛豊臣秀吉判物

 

1通 天正2年(1574)2月20日付 長濱八幡宮蔵

 

 秀吉が長濱八幡宮に「堪忍分」として所領160石を遣わすという内容。この年から秀吉は長浜築城に取り掛かるが、この「堪忍分」とは、八幡宮の移転に対する慰労という意味合いなのであろう。秀吉の気遣う様子がうかがえる。

 

 

 

山内伊右衛門尉宛羽柴秀吉朱印状

 

1通 天正13年(1585)9月12日付 長濱八幡宮蔵

 

 この年、山内一豊(伊右衛門尉)が新たな長浜城主として着任した。本状は秀吉が一豊に対し、八幡宮の所領を安堵し、さらに祭田として10石を寄進することを命じた朱印状である。

 

 

 

八幡社人宛秀吉朱印状

 

1通 天正19年(1591)4月23日付 長濱八幡宮蔵

 

 太閤検地が天正19年から始まり、それに合わせ各寺社領について朱印状が交付された。

 

 長濱八幡宮には、八幡庄内にて170石が寄附されている。これが江戸時代を通して、長濱八幡宮の所領として固定化されていく。ここに江戸時代を迎えるための道筋がつくられたといえよう。