企画展「長浜大秀吉展-秋の陣-」

長浜曳山文化協会(長浜市曳山博物館)では、標記の企画展を開催します。

長濱(ながはま)八幡宮(はちまんぐう)(長浜市宮前町)の春季祭礼であるユネスコ無形文化遺産・長浜曳山祭とゆかりの深い武将が羽柴(はしば)秀(ひで)吉(よし)(のちの豊臣秀吉)です。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城を築城すると、城下町で祭の舞台となる長浜町を造営し、長濱八幡宮を復興しました。また、秀吉に男児が生まれたことを祝って、長浜の町衆に砂金を振る舞い、町衆がそれを元に曳山を造ったという伝承も長浜には伝わっています。

今回の展覧会は、このように長浜曳山祭の成立に大きな影響を与えた秀吉の生涯と活躍を、春期と秋期の2回にわたって紹する企画展の第2弾になります。

第1弾「長浜大秀吉展―春の陣―」(会期:令和3年4月10日~5月16日)では、秀吉が長浜城主になるまでと、天下統一への大きな一歩となった賤ヶ岳の戦いまでの秀吉の活躍を秀吉関係の文書を中心に紹介しました。

今回の展覧会では、長浜城主時代の秀吉と天正11年(1583)に行われた賤ヶ岳の戦い以降にも焦点を当て、天正12年(1584)に秀吉と織田信(のぶ)雄(かつ)・徳川家康連合軍が争った小牧・長久手の戦いや、天下統一後の秀吉政権下の事績に焦点を当てます。「春の陣」に続き、長浜城歴史博物館が収蔵するものや個人蔵の秀吉関連文書が一堂に会します。これらの資料を通じ、長浜曳山祭と関係の深い秀吉の生涯や事績に改めて注目していただければ幸いです。

企画展情報

開催期間:
令和3年10月1日(金)~10月18日(土) ※緊急事態宣言のため開催延期となりました。
会場:
曳山博物館 1階展示室
開館時間:
午前9時~午後5時(ただし、入館は午後4時30分まで)
入場料:
一般600円/小中学生300円
※20名以上の団体は2割引、長浜市・米原市の小・中学生は無料。
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳等をお持ちの方及びその付添いの方1名は無料。(ただし、証明となる手帳等の提示が必要)
※会期中一部の資料の入れ替えがあります。

関連事業
歴史トーク「古文書・絵画から深掘りする秀吉の生涯」

 

【日 時】
第1回目 「豊臣秀吉朱印状と朱印地~長浜町と寺社領~」 緊急事態宣言のため中止
第2回目 「秀吉の合戦と長浜~中国攻めから朝鮮出兵へ~」 緊急事態宣言のため中止
第3回目 「秀吉の肖像画~その姿から紐解く歴史~」 緊急事態宣言のため中止

 時間は、いずれも10時~11時30分

 

【会 場】
曳山博物館伝承スタジオ

 

【講 師】
第1・2回目 長浜市市民協働部 学芸専門監 太田浩司
第3回目 長浜城歴史博物館 学芸員 坂口泰章

 

【受講料】
各回500円

※事前申し込みが必要です。各回定員30名
長浜市曳山博物館 ℡0749-65-3300

 

主な展示資料

第1章 長浜城主秀吉
湖北を支配した戦国大名・浅井家との戦いに功のあった羽柴秀吉は、織田信長から湖北の地を与えられ、天正2年(1574)頃に長浜城の築城を始め、城下町を建造します。長浜城築城にあたって、秀吉は百姓や僧侶、侍など領内の人々に鋤(すき)や鍬(くわ)をもって築城工事を手伝うように命じています。城下の長浜町では年貢と諸役を免除し、また、長濱八幡宮や竹生島といった寺社を復興しました。秀吉の湖北統治は、主君の信長が本能寺にて明智光秀に討たれた天正10年(1582)まで続きました。

羽柴秀吉判物 にしくさのかち共宛 1巻 紙本墨書 天正2年(1574)頃 出雲家文書

 

羽柴秀吉児島攻め備 1幅 紙本墨書 天正10年(1582)3月17日 北村大輔氏蔵

 

 

第2章 賤ヶ岳・小牧長久手の戦い
天正10年(1582)6月、明智光秀の裏切りによって織田信長が倒れると、中国地方の毛利攻めの最中であった秀吉は、すぐに引き返し山崎の戦いにて光秀を討ちます。その後、天正11年(1583)、同じく信長臣下の有力大名であった柴田(しばた)勝家(かついえ)を賤ケ岳の戦いで破り、信長の後継者の地位を確実なものとします。こうした秀吉に対し、信長の次男・織田(おだ)信(のぶ)雄(かつ)が徳川家康を頼み、秀吉に挑んだ戦いが小牧(こまき)・長久手(ながくて)合戦(かっせん)でした。最終的には、家康が秀吉に臣従することでこの戦いに終止符が打たれ、秀吉の全国統一が加速していきました。

小牧長久手合戦図屏風 1隻 紙本著色 江戸時代(後期)長浜城歴史博物館蔵

 

羽柴秀吉朱印状(鮒鮓礼状) 長浜町惣中宛 1幅 長浜市指定文化財
紙本墨書 天正12年(1584) 長浜城歴史博物館蔵

 

 

第3章 天下統一と豊臣政権

天正18年(1590)秀吉は、小田原にて北条氏を破り、全国統一を成し遂げます。秀吉政権を支えたのは、坂田郡石田村(長浜市石田町)に生まれた石田三成ら行政手腕に長けた武将で、後に五奉行(ごぶぎょう)と呼ばれ政権の中枢を掌りました。国内統治を盤石なものとした秀吉が次に目を向けたのは、中国・明でした。文禄元年(1592)から慶長3年(1598)にかけ、秀吉は2度にわたり朝鮮半島へ出兵しますが、失敗に終わり、慶長3年には、秀吉が伏見城にて没しました。

文禄年間日本丸図 紙本墨画 1幅
明治時代 長浜城歴史博物館蔵

 

文禄年間馬船図 紙本墨画淡彩 1幅
明治時代 長浜城歴史博物館蔵