曳山博物館企画展 「長浜子ども歌舞伎を支える裏方たち~振付(ふりつけ)・太夫(たゆう)・三味線(しゃみせん)・囃子(しゃぎり)~」

子ども歌舞伎で知られる長浜曳山祭は、多種多様な人たちによって支えられてきました。なかでも振付(ふりつけ)・三味線(しゃみせん)・太夫(たゆう)・囃子(しゃぎり)といった伝統芸能の担い手たちは、祭を伝承させていくうえで重要な役割を果たしています。

振付は子ども歌舞伎の台本作りから演技指導などを担当します。これに浄瑠璃(じょうるり)を語る太夫と三味線が入ることによって、長浜祭の子ども歌舞伎が成り立ちます。この振付・太夫・三味線を三役(さんやく)と呼びます。彼らはまた、近隣周辺の曳山祭の応援に向かったり、逆に助っ人に来てもらったりと協力体制がつくられており、曳山文化の広がりと連携をうかがうことができます。

やがて三役の人材不足が懸念されるようになり、平成2年(1990)に「三役修業塾」が発足しました。ここでは普段のお稽古とともに、定期公演などを通して後継者の育成や伝承がはかられています。

一方の囃子ですが、一般的には「はやし」と読み、まさに祭を賑やかにはやし立てる笛を中心とした音楽隊です。祭のいたる所で大太鼓、締め太鼓、摺鉦(すりがね)のリズムとともに、独特の音色を奏(かな)でる笛のメロディーが祭の雰囲気を醸し出しています。

戦前には囃子方の人たちは長浜にもいましたが、多くは布施村、戌亥村、唐国村、雨森村など周辺地域に散在的に所在し、各山組はそれぞれの地域から囃子方を迎え、曳山祭にあたってきました。しかし、戦後にこれらの人たちが少なくなり、後継者不足が不安視されたことから昭和46年(1971)に囃子保存会が結成され、地元長浜において囃子方を育成、伝承していくかたちとなりました。

本展では、これら伝統芸能の歴史から現在における育成と伝承の姿を紹介し、あらためて長浜曳山祭がどのように伝えられてきたのかを、子ども歌舞伎の舞台裏という視点で見ていきたいと思います。

なお、企画展関連イベントとして、親子で囃子(しゃぎり)体験「笛を吹いてみよう!長浜曳山祭のしらべ」を実施する予定です。

企画展情報

開催期間:
令和4年7月30日(土)~9月4日(日)
会場:
長浜市曳山博物館 1階・2階展示室
開館時間:
9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:
会期中の休館なし
入場料:
大人600円/小中学生300円
※20名以上の団体は2割引、長浜市・米原市の小・中学生は無料。
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳等をお持ちの方及びその付添いの方1名は無料。(ただし、証明となる手帳等の提示が必要)

■関連行事

8月6日(土)10時30分~12時
親子で囃子(しゃぎり)体験
「笛を吹いてみよう!長浜曳山祭のしらべ」

要予約 参加費無料

場所:伝承スタジオ

募集人数:10組(申し込みが3組以上で実施)

展示説明会

日時:
8月13日(土)、8月27日(土) 13時30分~
参加費用:
予約不要 参加費無料(ただし高校生以上は入館料600円が必要となります。長浜浪漫パスポートでも可。)

主な展示資料

①見台(曳山博物館所蔵) 明治時代

太夫が浄瑠璃を語る際に、台本を載せる台。

手前側(太夫の座る側)は、シンプルで特に装飾は施されていないが、観客側には蒔絵による華やかな装飾が施されており、見る側を意識した装飾となっています。

装飾の内容は、中央に「丸に木瓜(もっこ)」という家紋(かもん)が据えられています。周囲には赤く色づいた楓の葉を散らし、建物の縁で琵琶を弾く蝉丸(せみまる)が描かれています。蝉丸は百人一首の歌で知られる盲僧で、琵琶の名手とされています。逢坂(おうさか)の関(大津市)に庵を結んだといわれ、この地にある蝉丸神社は音曲など諸芸道の祖神として蝉丸大神が祀られて、諸芸能者たちの篤い信仰を集めています。この見台に蝉丸が描かれているのは、芸能を生業とする人たちの信仰心、向上心のあらわれだと思われます。

 

 

②浄瑠璃本「鬼一法眼(きいちほうげん)」 近代

長浜の太夫の家に伝わった浄瑠璃本。表紙に「米原南町組」(壽山)と記されているので、米原曳山祭に出仕した際の浄瑠璃本である。

奥書には「三味線引人名連」、つまり三味線演奏者たちの名前が列記されている。そして三味線演奏者名の右肩には居住地が記されていて興味深い資料となっている。冒頭には米原の「南組」とあり、以下長浜、木之本、彦根といった県内周辺地域から京都、舞鶴、岐阜といった県外地域まで広範囲に及んで三味線演奏者が米原曳山祭に参加している。こうした広域の連携関係は、曳山文化をより広範囲に展開させ伝承していくための補完関係だったともいえる。

 

 

 

③囃子(しゃぎり)楽譜(口伝(くでん)譜(ふ))

囃子の笛の楽譜。本来囃子は口伝で伝えられたものであった。戦前までは、自町以外に周辺地域には囃子奏者が散在していて、それぞれ独自の節(ふし)まわしを持っていました。長浜の各山組は各地の囃子奏者と個々に契約して祭に出仕してもらっていたので、山組自体もそれぞれ独自の節まわしの影響を受けることになる。本楽譜は髙砂山の御遣りで、口伝を表記したものである。昭和46年に囃子保存会が設立されると、より多くの人に馴染んでもらえるよう五線譜に置き換えた表記を考案し、囃子の普及に向けた努力がなされてきた。

 

 

 

④太鼓

囃子のうち、リズムやテンポの重要な役割を担当するのが太鼓と締め太鼓、そして摺(す)り鉦(がね)である。囃子保存会が所蔵している古い太鼓は、かつて保存会が購入したものであるが、片面の皮が破れていて現在は使用されていない。

しかし、破れた箇所から太鼓の内側部分が観察でき、文政7年(1824)と天保6年(1835)、昭和49年(1974)の計3回の修理銘が墨書されていることがわかる。このうち天保6年の修理銘には「細工人 布村 太鼓屋吉五良」と記されており、現大阪の太鼓屋によって修理されたことがわかる。おそらくもとは大阪の町の祭礼用太鼓として用いられていたのであろう。修理銘から文政7年以前につくられた太鼓ということがわかり、長い間修理を施しつつ使用されてきたものである。こうした感性が、伝統的な祭を受け継いでいく土台になっているものと思われる。