企画展・特別展

企画展『よみがえる曳山の文化財―懸装品等の修理と成果―』

本展では、これまで実施してきた国庫補助金事業による文化財の修理・復元の成果を報告し、修理の事前調査や修理過程でわかった文化財の材質、複雑な技法などが修理事業にどのような問題をもたらしたのか、その中でどのように対応して修理を行ってきたのかを紹介していきます。このことは、補助金並びに各山組が負担してきた費用が適正に運用されてきたことを広く知ってもらうことにもなります。 文化財の修理はどこまで可能なのか、復元にあたってはどのようにするべきかなど、修理を指導する側の専門委員会と、この文化財を使用する側の山組との協議や判断がなされた経緯など、一般的にはあまり知られることのない側面にも触れ、多様な文化財の所蔵者だけでなく、一般の方々にも文化財の修理について身近に感じていただければと考えています。

企画展情報

開催期間:
令和5年1月28日(土)~3月5日(日)
会場:
長浜市曳山博物館 1階・2階展示室
開館時間:
午前9時~午後5時(ただし、入館は午後4時30分まで)
休館日:
会期中の休館なし
入場料:
大人600円/小中学生300円
※20名以上の団体は2割引、長浜市・米原市の小・中学生は無料。
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳等をお持ちの方及びその付添いの方1名は無料。(ただし、証明となる手帳等の提示が必要)

講演会:長浜曳山祭における文化財の修理

日 時:2月19日(日) 13時30分~16時

講 師:二宮 義信 氏(40分)「曳山修理の必要性」(仮題)

藤井 健三 氏(40分)「曳山の懸装品(幕類)復元の実状」(仮題)

山本 順也(20分)「文化財修理の事前調査~太刀渡母衣の事例~」

質疑応答(10分) ※途中10分休憩あり

場 所:長浜曳山博物館内 伝承スタジオ

※要予約 定員50名

展示説明会

日時:
1月28日(土) 2月11日(土) 2月18日(土) 2月25日(土) いずれも13時30分~ ※予約不要 参加費無料

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主な展示資料

①新調記(しんちょうき) 1冊 天保5年(1834)~昭和27年(1952) 船町組(ふなまちぐみ)猩々丸(しょうじょうまる)蔵

 天保5年から昭和27年まで書き継がれた、猩々丸の修理記録。曳山や山蔵の修理した時期、修理箇所が細かく記されている。天保8年には山蔵へ収めやすくするため、曳山の寸法が改められている。現在の修理においては、いつ、何をどのように修理したかという情報は極めて重要で、本資料はその点でも貴重な記録となっている。

 

 

②諫皷鶏(かんこどり) 1基 江戸後期 御堂前組(みどうまえぐみ)諫皷山(かんこざん)蔵

 諫皷山亭(ちん)の屋根上に据えられる諫皷鶏で、昭和30年(1955)に修理された。この時左右両脚の枘(ほぞ)各3面に修理銘が記され、いずれも「昭和三十年修補」「曳山造営棟梁(とうりょう)藤岡(ふじおか)和泉(いずみ)末孫」「第十一代重嘉(しげよし) 作之(これつくる)」とある。修理が行われると、こうした銘文を記すことも多く、修理が行われた時期や職人名が判明するなど貴重な情報が含まれる。

 藤岡和泉家は、江戸時代から続く長浜の大工一門として、寺社仏閣建築や仏神具、地場産業である浜仏壇の彫刻などを手がけてきた。これらの技術を活かしてつくられたのが、長浜の曳山であった。ここでは彼らの伝統技術が長く継承され、曳山修理の場面においても大きな役割を果たしてきたことがうかがえるのだが、残念なことに同家は現在廃業している。

ちなみに諫皷鶏というのは、中国の神話に登場する尭(ぎょう)という聖帝の故事に由来するものである。ある時尭は、庶民の政治への不満や訴えを聞くために朝廷の門前に諫皷(太鼓)を設置し、これを庶民が打ち鳴らせばその訴えを聞こうと言った。ところが誰も打ち鳴らすものがいなかったので、諫皷の上にはいつも鶏がとまっていたという。これが意味するのは善政により世の中が治まり、平和で穏やかであるということである。

 

 

 

③胴幕「中東(ちゅうとう)連花(れんか)鋸葉(きょよう)文様(もんよう)」
1枚 平成20・21年(復元新調) 月宮殿(げっきゅうでん)田町組(たまちぐみ)蔵
オリエンタルカーペット(山形県)製作

平成20・21年度の国庫修理事業で復元新調された胴幕(2枚)・張出幕(2枚)のうち、胴幕の1枚。原品は17世紀後半につくられたインドのデカン産絨毯。胴幕・張出幕の4枚は、もとは1枚の絨毯を4つに裁断し仕立て直したもので、祇園祭にもない国内でも非常に珍しいものである。

復元新調にあたっては本来の制作過程を重視し、学術的にも意義の高い原品同様1枚の絨毯を製作してから4枚に裁断して仕立てるか、使用上の丈夫さや当時の人が本来製作したかった見栄えの良い姿を目指し4枚とも別々に製作して全体の調整をとるかの2案が出された。専門委員や山組との協議のうえで、後者の方法をとることとなった。

 

 

 

④ガラス製玉簾(たますだれ) 2面 文化10年(1813) 神戸町組(ごうどちょうぐみ)孔雀山(くじゃくざん)蔵
平成25・26年修理 公益財団法人(京都)美術院

 平成25・26年度国庫補助事業で修理した、孔雀山亭の両側面にはめ込まれる飾り。枠木の中に、直径約3㎜のガラス製ビーズ約150個を紐でつないだ一条を、190列の簾状に張っている。これらは数種類の色付きビーズによって龍の文様をあらわしていて、江戸時代のガラス製品としてもとても珍しいもの。枠木の表裏面にはガラス板をはめて、ビーズの散乱を防いでいる。

 修理前ではビーズの紐が切れたものもあり、一部亡失したり、図柄が歪むなどしていた。またガラス板が割れている箇所もあった。このためビーズが亡失している箇所は、ビーズを新調し補い、ガラス板は撤去してアクリル板にし、後々取り外ししやすいように木ネジで固定した。

 

修理前

 

修理後

 

 

⑤見送幕「二人の武将図」 1枚 平成5・6年(復元新調) 伊部町組(いべちょうぐみ)翁山(おきなざん)蔵

 龍村美術織物(京都府)製作

 原品は重要文化財に指定されている見送幕で、経糸(たていと)には太めの羊毛糸、緯糸(よこいと)は黄・紺・黒・茶・赤・緑などの羊毛糸と白絹を使用して織ったタペストリー(毛綴(けつづれ)織(おり)・紋織(もんおり))である。色彩や織から16世紀後半に、ベルギーのオードナルドで製作されたと考えられている。

 修理全般に言えるが、色合いが問題となることが多い。本見送幕も原品はすでに製作から400年ほどが経過しており、翁山見送幕として使用されてからも200年ほどは過ぎていると考えられ、色の褪色がかなり進んでいる。復元新調にあたって現状の色合いで製作すると、今の山組の人たちからすれば見慣れた落ち着きがあって、違和感はない。逆に製作当初の色鮮やかに復元すると、制作当時の雰囲気は出せるのだろうが現状の色合いに目が慣れている今の山組の人たちには違和感が出てしまう可能性がある。色合いの問題は実にナイーブな面を持っていると言えよう。

本復元新調においては、今後も見送幕として使用し続けていくことを踏まえ、色調の耐久性を考慮して原品製作当初の色合いで製作することとした。

 

 

 

⑥「七ツ道具」のうち大羽熊(おおはぐま)・毛槍(けやり)・大鳥毛(おおとりげ)・挟箱(はさみばこ) 4点 平成20年(復元新調) 
船町組猩々丸蔵 井筒装束店(京都府)製作

「七ツ道具」とは大羽熊・毛槍・大鳥毛・台傘(だいがさ)・立傘(たてがさ)・長刀(なぎなた)・挟箱のこと。このうち大羽熊(1点)・毛槍(1対)・大鳥毛(1対)・挟箱(1対)が平成20年度国庫補助事業で復元新調された。「七ツ道具」は猩々丸の曳行の際には露台や張出部に設置し、「夕渡(ゆうわたり)」と「朝(あさ)渡(わたり)(奴振(やっこぶ)り)」の際には行列で使用する。

 大羽熊の復元新調では、原品同様に白毛はヤク毛を用い、植毛にあたっては原品を調査し植毛方法・植え込み単位の本数・分布状況・密度など細かなところまで原品に合わせている。

 毛槍は上部をヤク毛、下部を馬毛(馬の尾)で用い分けており、その他は大羽熊と同様の手順を踏んでいる。大鳥毛はニワトリの黒尾毛を用い、本体部は現状で上・中・下の三部からなり、上部が5段×50本の計250本、中部は15段×100本の計1,500本、下部が5段×120本の計600本、総計で2,350本が植毛されている。挟箱は現状スギ材だが、変形・収縮しやすいため堅牢性を考慮してヒノキ材へと変更した。

 

大羽熊

 

毛槍

 

大鳥毛

 

挟箱