企画展・特別展

蛇の道は蛇

 平成25年は、辰が去って巳(ミ)、すなわち蛇の年。日本人にとって蛇は親しみのある存在で特に白蛇は家を守る屋敷神として広く信仰されています。蛇は脱皮しながら大きくなる、成長を続けていくところから、財布の中に蛇の抜け殻を入れておくとお金に困らないなどの俗信を生み出しました。

 瑞穂の国近江にとって蛇は恵みの水を与えてくれる水神でもありました。ジャやジャーさんなどと愛称で親しまれていますが、その姿は、猪・鹿・蛇それぞれの外見を併せ持つ恐ろしい想像上の動物に仕上げられています。その蛇が昇天して竜となり雨を呼ぶと人々は考えたのです。蛇が湖北の人たちにとってどのような存在であったのかを再考いただくまたとない機会にしていただきたいと思います。

 平成24年12月17日(月)~平成25年1月20日(日)また、神話の時代から蛇は重要な存在でした。天上界から放逐されたスサノオノミコトが女性に化けて八つの頭を持つ怪獣、八岐大蛇を退治し、クシナダヒメと結ばれる壮大な浪漫ヒストリーには異形の蛇が最も相応しかったのです。本展示には、その物語を今に伝える芸北神楽の大蛇が登場します。

 年の初めの目出度さを曳山博物館でご満喫ください。

企画展情報

開催期間:
平成24年12月17日(月)~平成25年1月20日(日)
開館時間:
9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:
年末年始 (平成24年12月28日(金)~平成25年1月3日(木))

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主な展示資料

≪展示資料≫



江戸時代後期

滋賀県米原市磯崎神社蔵

雨乞いのために使われた蛇。頭や胴部など一式を納める木箱の表に、「雨請蛇頭入 磯崎 庄屋」「文久元年(1861)酉ノ三月庄屋藤□横目喜左衛門」と墨書があるのでそれより以前に雨乞い行事は行われていたと思われる。雨乞いを記憶する古老が描いた絵によると、先頭に雨乞と書かれた高張提灯を持つものが1名、蛇を操る者は10名、裸の肩を湖上に出し、蛇を担ぎ上げて「あぁめを下され竜宮のやぁけ田へ水くれよ」と唱えながら練ったことが分かる。



江戸時代後期

滋賀県長浜市永久寺蛇組蔵

雨乞いのために使われた蛇。頭や胴部、鉾など一式を納める木箱の表に、「延享四年(1747)」の墨書があるのでそれより以前に雨乞い行事は行われていたと思われる。伝承によると以前は雨乞いの際、村の中で二匹の蛇を舞わしていたが中断、戦後復活して現在では8月15日の夜、長浜八幡宮の放生池の中で舞わす習いである。蛇の舞いを伝える蛇組は9戸、長男が世襲で継承する決まりであり、毎年交替で宿を決め関係文書や蛇の舞の道具一式を新しい宿に送る。

雲竜図見送り幕

文政12年(1829)

滋賀県長浜市宮司町自治会蔵

長浜市宮司町に伝わる曳山、颯々館の後部に吊られる幕。見送り幕は文字通り、通過する山車を人々が見送る際、強烈なインパクトを与える大型の幕である。そのため豪華な手の込んだ金糸銀糸の織物や西洋の画題を選ぶなど曳山のもう一つの顔である。本資料は、画技に通じた殿様、第6代宮川藩主堀田正民が描いた雲龍図で、幕の裏書には先々代の正邦が寄進した見送り幕があったことも記されている。なお現颯々館では昭和27年(1952)まで子ども歌舞伎が奉納されていた。

 

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)

現代

広島県北広島町芸北民俗芸能保存伝承館蔵

神楽に使用される八つの頭を持つ蛇の作り物。記紀神話で出雲の簸川上流にいたとされる大蛇。頭尾はおのおの八つに分かれる。素戔鳴尊(スサノオノミコト)が女装してこれを退治し奇稲田姫(クシナダヒメ)を助け、尾を割いて天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を得たという。出雲・石見地域や芸北地域では村々で地神楽が盛んであるが、そのなかでも勇壮かつ華麗な演目として人気がある。本資料はまた素戔鳴尊と奇稲田姫を縁結びの神として祭る神社も多い。