企画展・特別展

三味線があって歌舞伎があった-三味線発達史-

 長浜市曳山博物館・開館10周年企画特別展 江・浅井三姉妹博覧会関連企画 「歌舞伎からみるお江の時代」
【テーマ展・その1】「三味線があって歌舞伎があった-三味線発達史-」

 今回のテーマ展では、江戸時代前期の貴重な三味線「時雨」のほか、初公開となる古文書「三味線工人注文書」など、三味線が世に出現した当時の資料ほか関連資料27点を展示します。歌舞伎の黎明期に出現し、日本を代表する楽器となった三味線の変遷を実物資料によってご覧いただけます。

企画展情報

開催期間:
平成23年2月19日(土)から3月21日(月・祝)まで
開館時間:
9時~17時(入館は16時30分まで)

講演会「殿も傾(かぶ)いた三味線の魅力」 

【日時】平成23年3月5日(土)午後1時30分~

【講師】五島 邦治 氏(京都造形芸術大学客員教授)

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主な展示資料

1.三味線は近世の音色

 人形浄瑠璃や歌舞伎など日本の伝統芸能に不可欠な邦楽器「三味線」。その登場が室町時代末期と聞くと意外な感じを受ける人も多いだろう。三味線は中国の三弦が源流であると考えられ、日本へは永禄年間(1558~70)に琉球(今の沖縄県)から堺に入り、琵琶法師が改良して三味線になったといわれている。しかしその伝来について不明な部分が多い。

 現在残る最古の三味線は、慶長2年(1597)豊臣秀吉が淀殿のために作らせたもので「淀」と言う名称で知られている。華奢ではあるが形状は現在のものと同型である。作者は京の名工神田治光であり、国内に入ってから40年ほどで三味線は完全に和風化されたのである。その後、京で石村源三(のちに受領して近江守となる)すなわち石村近江が出て、二代目以降は江戸へ移り、以後石村家は江戸時代末期に至るまで三味線製作者として代々その名を馳せた。

 

2.初公開「三味線工人発注文書」
~殿も傾(かぶ)いた三味線の魅力~

 平成8年7月、京都市北区上賀茂の旧社家住宅から見つかった襖の下貼り文書の中から、江戸時代前期の三味線工人による三味線の見積書が見つかった。それに書かれた三味線は、蒔絵で和歌を散らし書きにし、銀の金具を使った豪華なものであった。調べていくうちに、それは徳川家康の曾孫に当たる松平大和守直矩が注文したものであることがわかった。彼は姫路藩十五万石のれっきとした領主であるが、いっぽうで踊りに熱中し、江戸屋敷に役者を呼んで演じさせたりした歌舞伎ファンとしても知られている。そして、その彼が奥方の実家である京都の東園家をつてに、京都の工人に三味線を作らせたのである。

 本展示では、戦乱のお江の時代を経て太平の世を迎え、自由闊達な気風を謳歌して、みずからも三味線を演奏するひとりの大名の姿を浮き彫りにする。

 

3.大坂城下跡から出土したミニチュア三味線の謎

 豊臣氏大坂城跡の城下町である船場地域の大型土壙から多数の木製品が出土した。その中にはミニチュアの鍬、鋤、木槌、椀そして三味線と多数の木偶頭が含まれていた。これらの遺物は随伴して出土した木製品の「元和六年」の墨書から江戸時代前期のものであることが判った。また出土した木簡や文献研究から、この地域は魚市場があった地区の一角であることが判っている。しかし出土遺物は魚の流通を示す荷札木簡だけではなく、輸入陶磁器、国産陶器、木製生活用具、木製祭祀用具など多種多様であり、現代の魚市場から連想されるものだけではない。なお木偶頭については人形浄瑠璃の原型を思わせるものから、板状のシンプルなものまで多種多様である。ミニチュアの三味線は、胴をなくしているものの棹の部分は残りがよく糸倉や海老尾の細かい表現もなされている。

 

【主な展示品】

1.三味線(銘・時雨)
一丁 江戸時代前期(大阪音楽大学音楽博物館蔵)

 小唄用の初期細(ほそ)棹(ざお)三味線で「時雨(しぐれ)」と呼ばれている。海老尾に「山」という文字が見える。名工、石村近江の手によって江戸元禄期(1688~1703)に製作されたと伝える。この時代、歴代近江の中でも最も有名な五世性真が活躍した時期であり、彼は忠次、善兵衛ともいい、「近江」の焼印を初めて用いた。

三味線(銘・時雨)

 

2.三味線(義太夫用)
一丁 江戸時代後期(大阪音楽大学音楽博物館蔵

 義太夫用の太棹(ふとざお)三味線である。二世鶴澤清八(つるざわせいはち)(1879-1970)が使用。鶴澤は義太夫節三味線方の姓であり、竹沢権右衛門の門弟友次郎を祖とし関西風のしっとりした地味な芸風を持ち味とする。清八は本名奥田徳松。昭和17年に二世を襲名した。考究肌の演奏家でその膨大な浄瑠璃関係資料は、大阪音楽大学音楽博物館に所蔵されている。

 

3.風俗図屏風
六曲一双 江戸時代後期カ(財団法人豊会館蔵)

 近世初期の風俗画を代表する傑作として名高い「国宝・彦根屏風」を模写したもの。彦根屏風が六面のみなのに対し、本作は六曲一双となっており、作者による意匠が模写の部分に加えて描かれている。左隻のうち二面には、彦根屏風でも最も有名な「躰をくねらせて立つ若衆」の姿が描かれている。

風俗図屏風(左隻)
(部分)

 

4.「石村因幡三味線覚」
江戸時代前期(個人蔵)

 職人、石村因幡が三味線の注文を受けてその仕様を確認の上、工賃を見積もった請書。海老尾(えびお)は紫檀(しだん)、胴は花梨(かりん)の材を使うなど高級材による豪華な仕上げとなっており、工賃として銀百匁を見積もっている。石村因幡は京寺町通り丸太町上町に住む琴三味線師で、宛先の田中三右衛門は、京の公家東園家の雑掌(ざっしょう)(事務職員)である。

「石村因幡三味線覚」

 

【出品資料一覧】